不正解な正解
間違っていないが、正解ではない。
世の中はそのようなことで溢れている。
先日、ふと思ったのですよ。
入試とかで、一般的ではないが間違いではない答えを書いたらどうなるのだろうか。
例えば、円周率を100桁くらい使って、より精密に計算したりしてみたらやはり点数にはならないのだろうか。
大体は円周率は最初に3とかπとか指定するけど指定がなかったらどうだろう。
いやこれは明らかに駄目だろうけど。
んでまぁ、ほんの些細な疑問ではあったが、気になったので偉大なる叔父上に聞いてみたのですよ。
「例えば、入試なんかで、野口英世を野口清作って書いたりしたらやっぱり×かな?」
と質問してみたら、きっと駄目であろうとのこと。
叔父上曰く、
「例えば、理科の問題で『雪が溶けたらどうなるか』と言うものがあったとき、
水になるなどと答えずに『春が来る』と回答した子を感性が豊かだとか褒めた偉そうな人がいるが
そんな回答をすることを褒めるなんて大きな間違いだ。
求められた答えを出すべき場で求められた答えを出せないことは褒められるべきことではない。
その答えが認められる場に行くべきであり、その場でそう答えるのは大間違いだ。」
とのこと。
そう、意外性のあることや、うまいことを言ったからといって、正しい筋道を通らない答えは結局、間違いでしかないのだ。
そういえば、管理が中学生の頃に、漢字のテストでこのようなものがあった。
ちなみに黄色字のところを漢字で書く問題なのだけど、
『コロンブスはこうかいした。』
って問題なのですよ。
まぁ、コロンブスってくらいだし、『航海』が正解なのだけど、『後悔』でも意味が通ってしまう。
ここで『航海』と書かずに『後悔』と書くのは結局、『春が来る』と同じことなんだなぁ、としみじみ思った。
もちろん、頭の中で「あ、これで春が来るって書いたら素敵だな」とか思うことは素敵な発想だと思うが
それを書くのは別な話。
そんなことを書いてしまうヤツは結局、その場においては不適合者なんだなぁ、と思った。
でね、結局何が言いたいかと言うと、
「大阪城を作ったのは誰でしょうか?」
とか聞いてきて「答えは大工でした。」とか言う奴はなんか恥ずかしくないのかなぁ
ってだけのことでした。あなたの周りにもいるでしょ?この質問する人。
ちなみに管理、保健体育のテストで『包帯はガーゼの固定以外にどんな使い方があるか』という問いに
『ミイラごっこに使う』
と書いたことがあるのはここでは内緒にしたい事実である。
食玩
近年のおもちゃってのは凄い。
ガチャポン一つ取っても、100円200円とは思えないようなリアルなクオリティで出来上がっている。
また、子供向けのものだけでなく大人向けのものも多くなってきている現在、このような玩具業界の発展はとてもめざましく感じる。
ポケモンなど人気のキャラクターや、リアルなギターの食玩、かの有名な豆腐屋のハチロクなんかもある。
管理は取り立てて買ったりはしていないのですが、ある日ちょっとチョコが食べたくて食べたくて
ちょこっとスーパーにいってきたんですよ。チョコだけに。はいはいごめんごめん。
そしたらですね、アンパンマンの指人形の食玩がありましてですね、
うちの姪ちゃんがアンパンマン大好きだったなぁ、って思って
アンパンマンとメロンパンナちゃんとブラックロールパンナちゃんのを買って帰ってあげたのです。
普通のロールパンナちゃんじゃなく、ブラックロールパンナが置いてある辺りがマニアの心をがっちりです。
それでまぁ、別にアンパンマンとかホント全然好きじゃなくて詳しくもなんともないんだけど、
姪ちゃんのために買って帰ってあげたら大喜び。
母上がブラックロールパンナを「忍者」と姪ちゃんに教えている勘違いっぷりはあえてスルー。
しかし、なかなかアニメに忠実な出来上がり。
まぁ、アンパンマンくらいだったら比較的簡単に再現できそうですが。
そんなこんなでそれから数日後、友人とマックでおしゃべりをエンジョイしていたのですが、
この友人、なかなかのドラゴンボールマニア。
何巻かのどっかでピッコロの指が4本だのなんだのって話で盛り上がっていたのですよ。
管理も一通りドラゴンボールは見ているので、ちょっと詳しいですしね。一応、リアルタイム世代だし。
で、他にサイヤ人の生き残りはいなかったはずなのに映画のターレスはありなのか、なんて議論をしながら
ちょこっとチョコが食べたくなって件のスーパーへ。ごめんごめん。
んで、お菓子コーナーと隣接する食玩ゾーンで、
「これ買わない?w」
「買わねーよw」
とか、子供に混じって元ネタすら何かよくわからないようなキャラクターを手に取ったりして冗談まじりに談笑していたのですよ。
そんなくだらない話をしていたら、ドラゴンボールの食玩を発見したのですよ。
こーゆー食玩の類って、中身があらかじめ分かっているタイプと、何がでるか分からないタイプの2種類あるみたいなのですよ。
アンパンマンは、何が入っているか分かるタイプだったのですが、ドラゴンボールは分からないタイプ。
まぁ、それを買うわけではないのですが、中身がなんとなく気になるじゃないですか。
それでですね、友人がそれを手にとって言ったのですよ。
「これ、何が入ってるのかね?」
そしたら、一緒に食玩を見ていた見知らぬ子供が一言
ドラゴンボールだよ
うん、それは最初から分かってるわ
おじさ…お兄さん達が言っているのは、キャラクターのことであり、作品からわからないわけじゃないわよ、と。
なんだか、はしゃいでいたのが急に冷めて麦チョコ買って帰りました。
大人向けにも作られている食玩、いざ大人が買うとなると何かと弊害がでるなぁ、と思いました。
ちなみに姪ちゃん、せっかく買ってあげたアンパンマンを無くしてました。ショック、ガーン!
ごめんごめん。ホントごめん。
インスタントラヴァー
毎日だと辛いのに、たまに凄く欲しくなる。
お手軽に得られる幸せ、たった3分の我慢。
そう、カップラーメンである。
管理が一人暮らしをしている時は、主食の如くいただいていたカップラーメン、
高校までは趣味が料理とか言っていたのに、いざ一人暮らしになると家事が激しく面倒で、
こういったお手軽さを求めてしまっていたのである。
実際、料理はお腹が空き始めてから作っていては耐えられない。
1品に1時間や2時間は軽くかけてしまう管理には辛い。
そりゃね、一応は元々が趣味だし、お客さんがきたらちゃんと作ってましたよ。
カレー祭とかも、管理作の土鍋カレーをバイト仲間とつついたものです。
しかし、一人だとお腹すいたら作っている間の時間、我慢ができない。
ってゆーかお腹すいたら料理する気が起きない。
だから毎日がカップラーメンか、バイトがある日はコンビニの廃棄だった。
そんなこんなで、実家に暮らしていた頃は体に悪いといった理由でたまにしか食べれなかったカップラーメン
毎日のように食していたのですが、これがまたおいしくない。
たまに食べる時は凄く美味しく感じるのだけど、毎日だと空腹を紛らわすだけのものでしかなかった。
思えば昔はカップラーメンはたまのご馳走だった。
それは、管理が小学生の頃のことだった。
あまりお小遣いとか貰えなかった幼少時代、もちろんカップラーメンを自分で買うなんて叶わぬ夢だと思っていた。
しかし、祖母の家にお泊りに行った時に祖母にお小遣いを貰ったのです。
お小遣いといってもその時は、ちょっとお菓子を買っておいで、程度のもので姉と一人100円程度のものでしたが、
おばあちゃん優しい、優しいおばあちゃん、と小躍りせんばかりの勢いで喜びまくりーたでした。
祖母の家の近くには、小さな駄菓子屋みたいな商店がありまして、そこでよくお菓子を買ったりしていたのですが、
その日の管理は、一大決心を胸に秘めていた。
そう、
カップラーメンを買ってやる!
と。
このビッグドリームは、100円ずつと言うお小遣いから一人じゃ実現できない。
そう、面倒見が良い2番目の姉上と協力して初めて実現するのだ。
この時、姉弟の心が、カップラーメンにより一つになった。
75円ずつ出せばよかったのに、幼少すぎて姉100円、管理50円といったちょっとおかしな配分で、
姉が多目に食べるといった約束までしたけど、
ついに実現する、姉と半分こ以下になるけどカップラーメンを買えるんだ!
そうして、姉弟タッグでカップスター醤油味といった味の虜になりそうなカップラーメンを買ったのです。
それでですね、そのカップスター醤油味、さっそく食べようと思い、蓋を開いてみたのですよ。
それはもう、宝箱を空けるような気持ちで開きましたよ。
どことなくネギが茶色いのはきっと新しい味だからに違いない。
しかも、面倒見のいい二番目の姉ったら、「半分食べてもいいよ」って言ってくれて
お姉ちゃん優しい、優しいお姉ちゃん、と小躍りせんばかりの勢いで喜びまくりーただったのです。
それはもう、飢えた狼の如くいただきましたよ。
なんだかちょっと汁がこゆい気がするけどきっとお湯が少なかったんだね、えへへ、とか思いながら。
それはもう、至福のひと時でした。
その後に地獄がくるとは知らずに
すっかりしっかり食べ終わってから1時間くらい経った頃ですかね、
妙にお腹が苦しいのですよ。
もうね、トイレ行かずにはいられない。
トイレ行って、出た後も即座にトイレに入るループの繰り返し。あ、ループって繰り返しって意味だわ。変な日本語だ。
で、これはおかしいと思い、味の虜にしたカップスターの賞味期限を見てみたら、
なんとちょうど半年前に切れているじゃないですか。
なんてゆーか、その日が忘れもしない9月26日、賞味期限が管理の誕生日の3月26日だったはず。
いやいや、今さっき買ってきたのだけどこれはいつから店頭においてあったのだね、と。
姉の優しさに甘えて半分も食うんじゃなかったぜ。
絶え間なく流れ落ちる水うんこ(業界用語で下痢)と戦いながらビッグドリームが儚く散っていくのを感じました。
今、一人暮らしを終えて毎日健康な食事が用意されている日々。
久しぶりにカップラーメンが食べたくなったのでフラリとスーパーへ。
今はもう、自分の力でカップラーメンを買える。
リスクを冒してなけなしのお小遣いを出さなくても簡単に食べれる。
あの日のビッグドリームは儚く散ってしまったけど、大人になった自分はその夢を叶える力をつけることができたんだ。
そう、しみじみ思いつつ、あの日何故かなんともなかった姉は既にビッグドリームを叶えていたんだなぁ、と
姉の偉大さをかみ締めるのであった。
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